イリデッセンス・カラーシフト
2.アンドユー・トロワ
*
人通りが多い。
先ほどまでの路地もそれなりにひとが通っていたけれど、ふたつみっつ路地を抜けて、繁華街へと足を運ぶ。――裏路地へ面した居酒屋街に入るとうっとするほどひとが増えていた。
歩きながら、アタシは考える。今更ながらちょっと嫌な予感がしてきたから。こんな怪しいオッサンについてきて大丈夫だとか、そんなこと。
雑踏の中でもフラメンコの女装したオッサンは目立っていた。
歴史の授業で習ったやつに、こんな光景があったとか思い返す。ざあっ、と人混みが左右に避けていく様はちょっと面白かった。
そんなわけで後を追うのは簡単だったけれど、図体がアタシよりひとまわりほど大きいばかりに足のコンパスの差で置いていかれそうになる。だから、小走りというかほぼ走ってる状態で必死に食らいついた。
次々に風景が切り替わっていく。次第に上品さが抜け、下町的なネオンが煌めき始める。ランプが星のような瞬きならば、これは主張が激し過ぎる。ピンクやら白やら派手な色に染められた煤けたビルと、灰を被ったレンガの建物を抜けていく。不安感に苛まれるアタシを背後に、オッサンの足はとある店の前に止まった。
食堂だ。「ネズミの穴蔵」と掠れた看板が見える。古き良きパルデア地方の食堂街に陳列する中でも、道の端っこの方のさびれた店。ちょっと傾いた看板と、煤まみれの煉瓦で詰みたてられた小さな憩いの場。扉はちょっと心もとない黒ずんだウェスタンドアだ。ひとの声と陽気な音楽が漏れ聞こえており、白い料理の煙が食欲を誘う。
……そう言えばアタシ、夕飯食べそびれたんだよな。結構夜遅いし下手に何か食べると太るし……と自分の胃袋と相談している間に、男はズカズカとその店に足を踏み入れていた。
「来たわよッッ!!」
「ヂヂヂヂヂヂヂ!!」
「めっちゃ拒否されてるじゃん……」
来店し開口一番への返答が「めちゃくちゃ嫌です」みたいな叫び声で、行きつけの店なのだろうかという疑問が消えた。行きつけなんだろうけど嫌われてる。
アタシが生温い目を男の背中に向けてる最中も「さて、座りなさい。店主、お冷を持ってきてちょうだいッッ!!」と我が物顔で指示していた。顔の面が鋼鉄。あの拒否に対して心強すぎる。アタシならもうこの店から出て行くぞ。なんで普通に居座れるの。だから嫌われてるのか……? …………深く考えるのをやめよう。
促されるままにアタシは入口近くの丸テーブルに腰掛ける。
こんな食堂に来るのは初めてだ。普段行ってもチェーン店ぐらいだし。こんな個人経営の店、ちょっとドキドキする。ぐるりと見渡せば小さな店ながらそれなりの客がいる。若いひとも多いが、大半が土木作業員のように濃く日焼けした中年男性だ。
所謂、大衆居酒屋の様相であり。つまり、フラメンコの女装をしたおっさんはマジで浮いていた。ここだけ異常。
「さて、早速本題に入りましょう。ワタシ、これでも元プロダンサーだからそれなりのツテがあるのよ」
「あ、やっぱプロなのね……」
素人ではないしアマチュアとも呼べるほどその実力は甘くないと思っていた。それ故、プロダンサーであるという言葉に納得をしてしまう。
まあプロならド素人の踊りが及ぶはずもないか……と現実逃避気味に考えていると、男の言葉はまだ続いていた。
「貴方の踊りは情熱だけが足を押してる状態だわ。この状態で今のやり方を続けても……ダンサーになるのは諦めなさいと言えるわねッッ!!」
「そんなの……」
あまりにも明瞭に切り込まれた一言だった。
努力が足りないのか、何が足りないのか。色々と指摘されてきたことを踏まえてその感想であると、やはりアタシに才能はないのかとぎゅうっと拳をテーブルの下で握りしめる。
何度、言われてきたことだろう。
アタシには踊る才能がない。だから、もうやめた方がいと。
あまり朝方ではないけどなんとか起きて走り込みをして、師事できる存在が見つからないから隙間時間で動画サイトを見漁り、鬱陶しい幼馴染の監視の目を潜り抜けてひとりで練習して。
結果として、アタシはスタートに立てていない。幼馴染に言われ続けて反発してきたが、流石にプロに言われてしまえば、うっすらと持ち上がってくるのは「諦め」の二文字だ。
思わず俯いてテーブルに視線を寄せた最中、「Water」とウエイターから声がかかった。
「Menu、決また?」
聞き慣れない発音が聞こえてくる。並べられたふたつのグラス越しにウェイターを見た。
黒髪に黄色のメッシュが入った、一目見ただけで印象が強い顔つきの青年だ。アタシよりは少し年上だろう。あまりパルデアでは見ない顔の造形をしていて、すらりとした体躯の所謂イケメンに入る部類の男だろうか。他人の造形にそこまで興味はないが、こんな場末の居酒屋では殊更目立っていた。周囲が目の前の女装したオッサンを筆頭にムキムキの屈強な男ばっかりだから余計に。
「オススメはトルティージャ!! Now、Dinnerがとってもヤスよ」
「いやアタシは……」
「テンチョーメシウマーよ~デザートここよ、アーモンドケーキすごウマで~……」
「いや……やめて……こんな時間にハイカロリーなもん見せないで……」
今はもうカロリー倍増時間なのだ。アーモンドケーキに心惹かれるが後で確実に後悔する。アタシが。ぐいぐいメニューを押し付けてくる圧強めなウェイターに辟易していると、しばらく黙っていたおっさんが口出ししてきた。
「悪いわねッッ!! 今は注文しないわッッ!! 後にしてちょうだいッッ!!」
「オーパルデア語ワカランヨー」
「嘘おっしゃい!! 後でオーダーするから下がってなさいなッッッ!!」
オッサンが追い払うと、からからと笑いながら青年は踵を返して去っていく。デザートの項目を開いたまま。ファミレスみたいに写真を載せてるから空腹の誘惑に負けそうなアタシに対し、「カロリー400オーバーよッッ!! 太るわよッッ!!」と真理が突きつけられた。くそう。
「……はぁ、話の腰が折れたわ。とりあえず、貴方の事情を確認させてちょうだいな。何故、貴方は他者に師事ができないの? ワタシ、貴方がプライドの問題でできないと言っているようには聞こえなかったのよ」
「………………それは……」
「お家の事情や面倒臭いしがらみがあるなら多少は力になれるわよ。そちら方面だったら手っ取り早いかもしれないわ」
「……………………ええ?っと……」
意外と真面目で真摯に聞いてくれるな。見るからに怪しい風貌なのに。不審者全開なのに。
だが、現実よく知らないオッサンなのだから力になれるかもしれないと言われても、素直に己を曝け出すのは気が引けた。
……どこまで言う? と手探りで言葉を探していると、おっさんは静かにアタシの言葉を待っていた。
信頼できるのだろうか? だが、この男がプロなのは事実だろう。あの圧巻のステージが脳裏に焼き付いて離れない。拳を握りしめたアタシは、ぽつり、と。
「……アタシに幼馴染が一人いまして」
「ほう」
「ええと、そいつはアタシに踊る才能がないから踊ってほしくないと……まぁ、色々、妨害されまして」
「ほう」
「結果としてアタシが通おうとした教室に通えなかったり芸術科に転科を阻まれちゃって……結果、練習してても邪魔されるし、なかなかうまくいかないって感じですかね。ハハ……ハハハ……」
「なるほどね。そいつと縁を切りなさい」
真理すぎる。当たり前のことを言われ、アタシは酸っぱいものを食べたような顔になるのを感じた。
分かっている。流石にお互いのためにならないことは。縁を切るのが手っ取り早いし、アタシだってあんな無謀に踊りを大通りですることになったのは元を辿れば奴との喧嘩が理由だし。
それができたら苦労しないと顔をシワクチャにしていると、おっさんの傾けたグラスの中で氷が高い音を立てる。
「…………才能ねぇ。ワタシはその言葉、嫌いだわ」
「……?」
「ワタシから言わせると、才能の有無なんてもの、ステージに立った時決まるものなのよ。才能がないからやめる、才能がないからさせないのはおかしなこと。誰もが挑む権利があり、頂上への道がただ長いか短いかの差異にしかならない」
水が減ったグラスから高い音が鳴る。
耳の裏で、音がする。心臓の。
乾いた唇が言葉を受け止め難くて、ヒヤリとした汗が背中を滑り落ちた。
「アタ、アタシは、才能がないわけじゃないんですね!?」
「だから、言ったでしょう。才能なんて言葉はやるやらないの言い訳でしかない。……貴方は諦めなかった。だったら才能があるだのないだのつまらない言葉で飾るより、貴方は自分を信じなさいな」
アタシは踊っていいんだ。ただそれだけで、心臓が速ってる。
立ち上がりたい衝動を堪える。アタシ、なんだかんだ才能がないという言葉に堪えていたんだな。ぜってーあんなこと言いやがった奴はボコすわ。決めた。
「ハァ……アタシ、それを言ってもらえただけでよかったです」
「そう……。で、話を」
「あの野郎、前もダンス教室に行こうと思ったら先に幼馴染が教室に悪い噂を流して潰してたり」
「はい?」
「で、それを諦めて学校で芸術科を受けようと思っても受講票を物理的に消されたり受験の日に部屋で閉じ込められたりして……」
「は?」
「そういうのがあって……ちょっと最近諦め気味だったんだけど……」
「待ちなさい」
「ハ? 何?」
「いや…………ノリが軽いけど大分ヤバイわよッッ!! 思ったより深刻ね!?」
そんなん才能云々関係ないわ!! とフラメンコの女装したおっさんが吠えたので食堂内で沈黙が走った。周囲の屈強なオッサンたちがこっちを見ている。
アタシもあんぐりしていると立ち上がって椅子を跳ね飛ばしたおっさんは「失礼、取り乱したわ」と居住まいを正した。びっくりした。
「……正直言うわね。大人として。大分拙い関係性なのだけどどうして縁切ってないのかしら?」
「や、アタシちょーっと原因の一端噛んじゃったから責任感じてて……」
「そういうのもう関係ないわよッッッッッ!! 恋人関係でも拙いけれど恋人関係ですらないでしょ貴方達ッッッッッ!! なんとかすべきよそれはッッッッッ!! なんでそうなってるの!!!?? どれだけ手酷くフったの!?!!!??」
「告白されてもないしアイツ割と彼女取っ替え引っ替えなんですよね」
「最悪よもう!!!! 分かった!!!! その幼馴染が考えてることなんとなく分かったけど悪手よ!!!!!! 馬鹿!!!!!!」
オッサンがついに顔を覆ってしまった。
そんなヤバイ話だったのだろうか。さっきも似たようなことを言ったつもりだったのだが。困ったようにポリポリと頬を掻いていると、オッサンから長い長いため息が聞こえてきた。
とても疲れたような表情のオッサンは、「それで?」と言葉を続ける。
「真っ正直に言うわ。貴方、どうするの? 幼馴染に邪魔されても踊りたいのは分かったわ。でも、状況的にはお互いによろしくないし、貴方自身の成長にもならない」
「ぅ……」
「距離を置きなさい。貴方も薄々分かっているんでしょう。お互いの為にならないってことも」
「分かります……そうしたいのはやまやまなんですけど……」
「何? もうこれ以上マズイ話があるっていうの? もう大分ヤバイんだけど塩撒きなさい塩」
「あーえっと。ちょっと……あの場所で踊ってた理由なんですけど」
「はあ。もう嫌な予感するわ」
「アタシ、流石に最近耐えかねてヘラルド……あっ、幼馴染の事なんですけど、アイツと距離置こうってしてたんですよね」
「……何? 先手打たれてたってこと?」
「あ、はい。……あの、アカデミーって宝探し有名なんですよね」
「知っているわ。かつて通っていたもの。……待って、分かった」
「はい。……今、ひとりで宝探しは旅立つことができない。で、アイツ……アタシに何も言わずアタシと旅に出るって申請してて……」
「………………………………………………………………成程」
ついにオッサンは無言になった。
気持ちはわかる。アタシもそれを言われた瞬間、いい加減にしろと思ってブチギレて大喧嘩をして部屋から飛び出してきたのだ。普段はすぐ追いかけてくるが、アタシがあまりに怒髪天だったからか連絡がなんにも来ない。……いや、来てるかもしれないけど。スマホロトムの通知を切っているだけで見るのがちょっと怖い。
「分かったわ。貴方、告白されても受け入れる気はないのよね?」
「それどころじゃないんですよね。まず夢を叶えたいし、プロダンサーになりたいが先だし」
「そう。…………じゃあ分かったわ。まずは現状、宝探しの事についてどうにかしましょう。もう申請通ってるんでしょ? 多分旅に出たら必然的に行動が束縛されるからここぞとばかりに離さなくなるでしょう。……ちょっと難しいところがあるわね」
それは、そうだ。宝探しという課外授業は完全に保護者の目から離れることが多い。それ故、メンバーの選定、チームの内容に対してはめっぽうシビアなところがある。
パルデア地方で馴染みがある恒例行事であり、住民からの理解があるとはいえ、アカデミーの目から離れるということはトラブルの発生率も上昇するという意味合いも持つ。状況把握の為にもチームリーダーはアカデミーと密な連絡を必要とするのだ。なので、チームリーダーになれるのは素行に問題が無い、声が強い優等生のみになる。
ヘラルドはそれに成れてしまっている。傍目は優等生に振舞っているからだ。女性関連の問題が多いとされているが、実際事を起こしているのは相手の女子だ。ヘラルド自体は何もしていない。当事者にならないと分からないからだ。
アカデミーは素行の問題がある生徒の要求を突っぱねたいし、その生徒をコントロールできる発言権が強く責任感のある生徒を宛てがいたがる。素行に問題がない優等生の意思は、アカデミーからも全幅の信頼を置かれやすいから。……アタシとヘラルドはそんな関係に見られている。学校側も引き離そうとしないだろう。
旅に出るということはクラスが違う、授業が違うという言い訳も通用しないから逃げられない。四六時中監視されたらアタシの心の方が折れそうだ。
「分かったわ。まずそれをどうにかしましょう。目下貴方がどうにかする課題はその幼馴染ともうひとつ。……踊りの方向性よ」
「……方向性?」
ぱちくりと目をしばたかせる。踊りの事に対しては練習すればいいと思っていたが、オッサンからすればまだそれでは足りないのだと言葉が続く。
オッサンが突きつける二本の指の向こうからサングラスを光らせ「そう、それも大事な事よ」と付け足してくる。
「ワタシにはね、貴方のダンスの説得力が足りないと思っているのよ」
「説得力? ……踊りに?」
「……あのねえ、自己表現なのよ。ダンスだって。自分の感情を踊りにそのまま乗せるか、音楽や情景、そして表現したいものの為に他人の感情や意志をトレースして演じ切るか。そういう指針すら曖昧でしょう、貴方」
急に抽象的な事を言われてアタシは困惑する。
自己表現。その言葉を突き付けられて、アタシは思考の海に沈むことにした。
何を、表現したいか。何を、訴えたいか、何の為に踊るのか。ただ有名なひとのダンスをトレースすることばかりに終始していた。動画を見て、なんとなくピックアップして、真似をして。じゃあ、アタシが何を訴えたいかなんて聞かれなければ考えなかった。
説得力ってなんだ、踊りに対して。頭を捻っても答えが出てこない。
「やっぱ、マズイですか。今のアタシ」
「マズイ、というよりは……そうね、何がやりたいか分からないが正しいわねッッ!! 貴方の踊りには常に何をどうしていいか分からないという迷いが顕著よッッ!! それ故どれだけ魅力的だろうとも情報が散らかって何をしたいかが分からない、が一番感じるところねッッ!!」
「ぬぐ……………………」
そう、指摘されればそうだ。
アタシがやりたい踊りは基本動画で見たカッコいいのを寄せ集めてみて、とりあえずトレースしてみること。目の前のオッサンの踊るフラメンコやフラダンスといった型があるものではない。
何がしたいか分からない、伝わらないなら訴えるものも響く心も何もない。そういうものが欠けていると言葉にされると、アタシは肩を落とす。
「そうね、まずはそこを固めなさい。貴方は何の為に踊るのか。何を伝えたい、何を表現したい? それを言葉にするだけでも違ってくるわ」
「何を……伝えるか……」
何かを伝える踊りか。
……そんなもの、分からない。アタシは答えに窮して氷が溶けたグラスの水を眺めていると、オッサンから「何でもいいのよ。何でダンサーになりたかったかという夢の始まりを思い出すだけでもいいわ」と助け船が寄せられた。
それならば、と――沈む思考、始まりを、アタシが踊ろうと思った光景を思い出す。
かつて、幼い頃。テレビの向こう側。パルデア一と呼ばれる国立ダンスホール。その中心で踊る男女一組だ。
薄暗い会場。当てられるスポットライト。空中に浮かぶホコリすら見えるほど眩しい空間でただ二人きり。
暗闇の端から響くギターの音。手拍子。空間が一体になる。その中で女性の手を取り、鮮やかに衣装を舞わせて踊る空気。陽気で軽快な音楽。既に古語とされている古代パルデア語で紡がれる歌声。ステップが、靴を、床を、軽やかに響かせていく。
一体になる空気を支配するのはその二人組だった。世界でただふたりきりのように錯覚する。全ての視線は彼らのものだ。脚光を浴び、賛美され。音楽が鳴り止むまで、その世界は永遠だった。
簡単なことだ。
世界の中心になりたい。誰もがアタシを見つめて、万雷の拍手でステージの終幕を見届けてほしい。
アタシが踊りをしたいという理由はそれだ。生きた証を刻み込むように、アタシを永遠に世界の中心で覚えていてほしいだけなんだ。
深い場所から戻ってきたアタシが顔を上げると、オッサンはやたらと真剣な顔をしていた。
「………………アタシ、目立ちたい、っていうか。消えたくない」
「……消えたくない?」
「そ。誰の記憶にも残らず消えたくない。いつ終わるか分からない人生で、アタシは生きてる。でも、何も成し遂げないまま死んだらアタシは誰の記憶にも残らない。言葉をどれだけ投げかけたって、相手の心に残らないなら何の意味もない、って思ってて……言葉なんてものはいらない。誰かの記憶に焼け付くように存在し続けたい。それがアタシの願いで、踊る意義よ」
「……そう」
言葉に出すと、酷く恥ずかしい。まるでジュニアスクール生みたいな青臭くて不恰好な発言を訂正したくなって口を開くが、ふと見やったオッサンの目が派手なサングラスの奥で笑っていたように見えた。
アタシがぽかんと間抜けな顔をしているうちに、オッサンは「じゃあ、今後のことについて考えを纏めましょう」と話しを先に進めてきた。
「さて、まずはその幼馴染は真正面から告白したら望み薄だと思ってそんな回りくどい事をしているのだと思うけど」
「え~? 告白受け入れたらマシですかね……」
「やめなさい、ここぞとばかりに助長するから駄目よッッ!! 一番やっちゃ駄目よッッ!! 貴方も別に付き合いたいと思っていないなら地獄を見るわよッッ!!」
どうすればいいのだ。
既に相手の方が計算高く布陣を組み上げている。アタシがどう動こうが撤回できないように。既にチェスで言うなら負け間近と言えばいいのだろうか。オッサンは「まあそんな例えね」と顎をさすりながら返答した。あまり面白い返答ではなかったらしい。
「まずは貴方が本気で嫌がっているわけよね。別に受け入れる気もないと」
「そうですよ……嫌に決まってるじゃないですか……それにアイツのせいで友達できないし……」
「次から次へとまっずい情報しか出てこないの何? とりあえず置いておくわよ。まず貴方達の関係性にどうのこうのとは言えないけれど、まずは離れなさい。貴方もそれを許してはならない。もう徹底的に拙い線を超えたのだと相手に自覚させるのが一番よ」
相手は恐らく、アタシが全てを許すと思っている。もう許さないとしても、それを言わせないような環境にしている。その先にあるのは緩やかな閉塞。息の根が詰まるような行き止まり。締め上げられた自己実現。そこにあるのは、ただのアタシという形をなぞったもの。生きながら死ぬ。保善されているのに、ただ、生かされてるのは生きていないと一緒。
アタシはそんな人生はまっぴらごめんだ。そんな、生きながら死んでいるようなことは。
でも、不安がある。ヘラルドは割と思い込んで一直線のままここまでやってきたのだ。自覚、するのだろうか? そうすることで本当にあのヘラルドが引いてくれるのだろうか?
今まで何をしても何を言っても駄目だったのだ、今更どうにかこうにかできるとは思えない。
そんなアタシの怪訝な顔を見たオッサンは、「荒療治だけれどもね」と呟く。
「……そうね、アカデミー学生書の校則一覧あるかしら」
「はい?」
「そうね、決闘って項目あるかしら」
「決闘……?」
スマホロトムを起動し、アカデミーの学生書を起動する。最近は学生書もアプリになった便利な時代だ。アタシはすいすいと指先でスワイプしながら校則を遡っていく。
決闘なんて物騒な校則あっただろうか、とすいすいと指を動かすが、校則一覧の最後の方のページに『決闘について』という物騒な項目が本当にあって、思わずオッサンを見やった。
「えっ……マジであった……」
「貴方ちょいちょい失礼ねッッ!! あるわよッッ!!」
「え~っと何々……決闘とは、アカデミー側の決定に不服がある場合、第327項目に置いて決闘申請を行い、決闘に勝利すればその勝利者の意志は叶えられる……どういうこと?」
「ちゃんと読みなさいッッ!!」
何度も読み返しオッサンからの解説を受けた内容はこうだ。
例えば今回の課外授業のチーム分けといったように、既に受理され決定を覆すのが難しい事柄をどうにかしたい場合。これの決定をひっくり返すには『双方の合意』が必要である。つまり、アタシがいくら拒否したとしても、ヘラルドからの合意が得られなければチームの解消はできないのだ。
こんな状況をひっくり返す為に存在しているのがこの『決闘』というシステムだ。
……いかにも、現代にそぐあっていないのだが……なんと、この校則はものすごく古くから存在しているらしく、ちょっと調べると面白い事実が出て来た。
かつて。とっても昔。王侯貴族もこのアカデミーに通っていた時代。当たり前だが、王様貴族平民はどれだけ平等を謳ってもそうなることなど不可能だった。設備や学ぶ事柄も、何もかも差があった。そんな階級による激しい差別に打破すべく発足されたのが、この『決闘申請』だ。この決闘に勝利した者は相手が王侯貴族であろうとその意志は決定されるというものだった。
成程、階級による横暴を解消するものだったらしい。昔はどうだったか知らないが、現代ではほぼ使われないので記念に残している程度の校則だそうだ。
「……これ、アカデミーに受理されます?」
「されるわよ。だって書いてるもの、校則に。消してない方が悪いわ」
そうだ、アカデミーで一番強大に効力を発揮する法律は校則だ。どういう意図で消していないのか知らないが、あるのなら当たり前に使える制度なのだ。
アタシは納得して申請書類をコピーするか……と考えた矢先にふと、思った。
……アタシ、ヘラルドとバトルすることになるの? これ。勝ったら確かにアタシの自由は得られるけれど……普通にタイプ相性とか悪くない? アイツ、炎タイプだし、バトル学でも結構優秀だったような……。
アタシの手が止まったのに気づいたのか、オッサンが「どうしたの」と声をかけてきたので、その胸の内をそのまま吐露する。
「…………何? どうしてそんな面倒くさい完全無欠に自分を磨き上げた奴に執着されているの?」
「アタシが聞きたいわそんなん……」
「…………困ったわね。この決闘ならば五分に持ち込めるかとは思ったのだけど……どうするかしら……」
完全に手詰まりになった。一応読み込めば「代理者を立てても構わない」ともあった。やっぱ貴族優位だったんじゃん、と悪態を吐くアタシたちは頭を抱えてテーブルを見つめていると、突然店の中が騒がしくなりはじめた。
店主の引き攣ったような悲鳴が聞こえてくるのと同時に、何かが割れる激しい音が店内を引き攣らせていた。
「ッオォ~イ、酒だよぉ、酒ェ~!!」
明らかによくない酔っ払いだ。フラメンコの女装をしたオッサンよりはるかにがっしりとした重戦車のような体躯をした大男が、酩酊して千鳥足でウェスタンドアを弾き飛ばしながら侵入してきた。酒瓶やグラス、食器がいくつか割れて散乱する。逃げられる客は外に飛び出していた。
「おい、アイツ闘乱場の選手じゃなかったか……?」
「暴力騒ぎを起こして引退したやつだっけ? 何でそんな奴が……!!」
酒乱は手当たり次第にお客に声をかけ、勝手に飲食を奪いながら持っている大きな酒瓶を傾けている。明らかな迷惑行為なのだが、店主の声を無視して店内を練り歩いている。
見た目だけ屈強な客達も、自分たちより頭ひとつ分大きい巨漢に戦意喪失しているため逃げ出す始末だった。役立たず……。
「ねぇ、ヤバくない?」
「そうね、店を出ましょう……」
だが、アタシたちのその意志は叶えられなかった。その酔っ払いはアタシたちの行動より早くこのテーブルに来てしまったのだ。
酒臭い息と共に、「どこに行こうってんだよ、ああ?」とチンピラみたいなドスの効いた声が頭元に降りかかる。
「我々は同じ客よ。貴方には関係ないでしょう」
「ハア? んだよ、まるで俺が悪者みてぇじゃねぇか……ああ!?」
「いやだ。避けられる自覚があるのなら水でも飲んで冷静になりなさい。やってること、普通に犯罪よッッ!!」
「気色悪いナリをしたテメェに言われたくねぇなぁ、アア!?」
巨躯の酔っ払いの太い腕がフラメンコの女装をしたオッサンの胸倉を掴む――前に、するりとその挙動をかわした。よろけた酔っ払いはつんのめってテーブルを派手な音を立ててひっくり返しながら倒れ込んでいった。
流石にこの状況に口を突っ込めなかったアタシは、後ろに下がろうとして。思ったより素早い動きで腕を掴まれていた。
「ちょっ……!!」
「んだよ、ちったぁ助けてくれてもいいじゃねぇか、嬢ちゃんよぉ?」
「いっ……!! 離してよ!!」
奴はアタシを引きずり巻き込むようにして立ち上がる。慌てて踏ん張るが、ずりずりと足が持っていかれる。
酒臭い!! デカい!! 怖い!!
アタシが腕を離そうと振り回すが一切動く気が無い。このまま引きずられたら普通に腕ぐらい折れそうだ。
「こんな時間にほっつき歩く若い女なんざ娼婦かぁ? こんな場末の居酒屋で客引きかぁ?」
「違うわよ!! 離してよ!!」
「うるせぇじゃじゃ馬だなぁ、ああ? じゃあなんだぁ? 不良娘かぁ? だったら何されても文句は言えねぇだろぉ?」
「何なのよッッ……!! 痛い!! 離してってば!!」
「……うるせぇなぁ、殴ったら静かになるか?」
「ちょっ……!! 待ちなさ――」
緊張したような叫びが近くにいるであろうフラメンコのオッサンから聞こえてくる。
振り上げられた拳が、スローモーションで見える。
アタシ、死ぬ? 恐怖で麻痺した頭が慌ててアタシの目を瞑らせた瞬間だった。
ドォン、と。大きな音がして、男の腕から解放されていた。
「ご、ォ……!?」
「オッサン、NOねー」
何が起きたか分からなかった。
いつの間にかさっきのウェイターが戻ってきていて、酔っ払いのオッサンが腹を抱えて蹲っていた。
その隙にアタシは慌てて壁際に避難する。さっきの緊張で心臓が今更バクバクしてきた。
怖かった。怖かった……。ビビって人混みの中に隠れる。その際、ウェイターは微動だにせず巨漢を前にして立っていた。
「な、に……しやが、る……ッ!!」
「ガラ悪い、NOよー。これね、出禁ー」
ウェイターは男の怒声に対してもへらりと表情を変えずに言葉を続ける。どんな胆力してるんだ。明らかに頭ふたつ分は自分より背が高い男を前にして、カラカラと薄ら笑いを浮かべている。
ていうか、今、何したの? 緊張感でアタシの頭が回りだす。
冷静に言動を鑑みても、さっきのウェイターが何したのか理解ができない。気さくに笑いながらも酔っ払いに片膝をつかさせる挙動をしたのはおそらく彼だ。筋肉量も何もかも違うのに、一体何を?
「て、テェ、殴った、な……!?」
「ン??」
「ふざっ、けんな!! こんなことしていいと――」
「喋れなくなれば問題ないよー」
空気が凍った。巨漢もたじろぐ程度には。
笑っているが、目が笑っていない。割とマジで言ってる。永遠に黙らせる気だ。
……てか、気づかなかったが帯刀してる。あのウェイター。腰に下げられた刀が出番を待つように揺れているし、なんならその柄を撫でている。
流石に酔っ払いもヤバいと思ったのか、一瞬まごつくように顔を歪めたが、負けじと「脅そうってのか!?」と叫んだ。
「お客様は……ッ神様だろうがッ!!」
そう言って男は再度拳を振り上げる。
危ない、と思った。思ったが、ウェイターの方が早かった。
「Oh、お前、客違うよー」
鋭いアッパーカットが顎に一発。ガン!! と響き渡るのは、明らかに人体から出していい音じゃなかった。舌を噛んだのか血を吐く巨漢。よろけた瞬間、すかさず鼻に裏拳。鼻骨が折れたのか、凹んだ顔から血が飛び散っていた。巨漢は顔を抑えて蹲ろうとした瞬間、後頭部を掴んで顔面に膝蹴りを浴びせる。
泣きっ面にスピアーか? 同じ場所に連撃だ。骨が折れたであろう場所に再度の容赦ない追い打ちでついに巨漢が涙目で後退っていく。
強くない!? 周りのお客全員が呆然として一連の流れを見守っていた。流石に喧嘩沙汰になったら警察を呼ぼうと思っていたが、あるのは一方的な暴力だ。悪いのは酒乱なのにウェイターの方がしょっぴかれそうなほどの。
確かにアレな客とはいえ、そこまでやる!? という容赦の無さに誰も言葉を紡げなかった。
「まっ、待ってくれ、やめ、謝るから……」
「If all you had to do was say sorry, there'd be no need for the police.」
酔っ払いがふらついてるのにも容赦せず、再度腹に蹴りを一発。踵で腹を抉り込むような相当痛い蹴りだ。さっきよりも威力があるのか吐血だけでない、酒が吐き散らかされた。言葉すら封殺された男が何の抵抗もできず前のめりに倒れていく。
だが、青年は容赦なかった。腰に携えた刀の鞘を手の平に滑らせて――思いっきり顔をぶん殴った。
「Never come again!! Fuck you!!」
その威力は巨大な大人を吹き飛ばす程度の威力だった。まるでバッテングされたボールのようだ。ウェスタンドアにド派手な音を立ててぶつかり、店から叩き出された巨漢は向かいの店のゴミ箱にホールインワンし、「アイヤーッ!? 相棒ーッ!?」という謎の悲鳴が聞こえてきた。ゴルフだったかもしれない。
一瞬、空白が訪れた。
流れるような連撃に、周囲が戦慄しているが、当人は下げていた刀を元の位置に戻す。拳についた血をその辺のナプキンで拭きながら笑顔で店長であるイッカネズミのいる厨房に向かって歩き去っていた。
「アーテンチョーやっぱ向かいのヤツね~」
「ヂヂ……」
店にいる屈強な男共もぽかんとして店長に声をかけていく異国の青年を見送るしかできなかった。
アタシも衝撃で動けなかった。……先に暴力を振るおうとしたのは確かにあの酔っ払いだが、有無を言わせないようにためらいなく拳を振りかざしたのは青年の方だ。しかも殴り慣れてるのか一切ためらいがなかった。普段からこういった荒事に慣れているのだろう。どんな店なんだここは。
先ほどまではガヤガヤと自分たちの腕っぷしを自慢していたお客たちは、流石にさっきのためらいの無い一連の攻撃をしたウェイターに強めに出られないのか、営業マンのようにペコペコとしていた。なんなら帯剣しているしあのウェイター。
そんな瞬間、店の中でも響き渡る声で、フラメンコの恰好をしたオッサンから。
「……これだわッッッッ!!」
と、爆音がした。
旅立ちへ