イリデッセンス・カラーシフト
1.クエスチョン、アナザー
と、と、と。高いピンヒールで煉瓦を叩く。
聞き慣れた音楽を反芻して、リズムを先取りする。そうすると、アタシの周りをくるりと回るスマホロトムから流れるざらついた音楽がアップテンポで流れ出す。安い音響施設のように音がぼわりとコンクリに跳ね返って広がっていけば、ちょっとしたステージの開幕だ。
擦り切れた音符を手のひらに誘導するように、アタシは闇夜を見上げる。
切れかけたネオンの光をスポットライト代わりにして、アタシは動画で眺めたポーズを脳裏に描く。音楽に合わせて、指先まで神経を張り巡らせる。今、アタシは最高の舞台に立つダンサーだと思い込む。僅かに乾いた喉の奥。まだ肌寒さを残す夜の帳の空気に頬を撫でられて、視線の先まで操るように目を開く。
幾度も見た、動画の動きを思い返す。ラジカセの掠れた音から聞こえる手拍子に合わせて、一歩。二歩。ステップを踏む、全身で感情を表現する。くるりとターン、そして視線を先へ。アタシの最高の今の舞台へ。手を広げて、踊りの世界へ誘うように。
と、と、とヒールで何度もレンガを叩く。
ざわ、ざわ、と耳に入る。目を開くな、音楽に酔いしれろ、そうしないと気づいてしまう。
アタシを――アタシの踊りをじいっと見るひとはいない。忙しなさそうにテーブルシティの道を進んでいくばかり。時折ちらりとアタシを見て、そのまま通り過ぎていくのだ。
見ろ、見て、アタシを。アタシのステージを、見届けろ。そうやって願っても、願えば願うほどに彼らはアタシを一瞥するだけで振り返りもしない。
ああ、感情がブレる。踊りに集中しろ。ひび割れた手拍子に、半歩遅れたステップに、ぐらりとよろけるようなターンを繰り返す。つるりと不格好に滑るようにアタシの膝は折れながら、必死に前を睨みつけて、ステップを再度踏みつけて、遅れたリズムを追いかける。
ざらつく音楽は次第に終わりを迎える。長時間踊り慣れていない身体はぐらりと体幹をブレさせて、ひとつひとつの後悔をステップにしながら着地すれば、重力がずしりと足元にもつれていた。
――ああ、どうして。練習しているのに、身体がちっともついていかない。
ままならなくて奥歯を噛み締める。額から流れ落ちた雫がコンクリに吸われて痕を残す。息を繰り返す。吸って、吐いて。でも、心臓は緊張に未だ苛まれていて。アタシの感情を置いて先に走り出すように打ち付けていて。
倒れ込むようにレンガに身体がよろけた――瞬間。
がしり、と。倒れそうな肉体を引き留める何かがあった。
アタシは驚いて身体を強張らせる。だって、誰もアタシを見ていなかったから、転んで初めて誰かがアタシを見るであろうとぐらいしか考えていなかった。
倒れない理由の腕の主を思わず振り返ると、そこには。
そこには……でっかいムキムキのおかっぱ頭と、目立つサングラスに明らかに似合っていないフラメンコの服装を着た男がいた。
「…………!?」
「アナタ……」
うわっ、喋った。反射的にびくりと身体が跳ねるが、自分の手首を掴んで尚余裕がある男の手のひらに腕を掴まれているから逃れられない。
変な緊張感で冷や汗が背中を滑り落ちていく中。男はゆっくりと溜めた言葉を吐き出した。
「踊るのヘタねッッ!!」
「………………………………………………………………ハァ!?」
まさかの返答に思わず威圧的な声が出た。
確かに褒められたものではないかもしれない。大衆が一瞥くれただけで去っていくのなら、ぐうの音もでないだろう。けど。もっと、こう。オブラートに包む言い方ってもんがあるだろう!!
「何よ? 急に現れてなんでそんな下手って言われなきゃいけないワケ!? 助けてくれてありがとうとは思ったけど!!」
「御礼が言えるのはいいことだわッ!! だけど事実、貴方の踊りを見届ける者はいなかった……それが事実ではなくてッ!?」
「ぐぅ……」
それを言われるとぐうの音もでない。声は出たけど。
パルデアの最大の都市、テーブルシティにはそれなりの大道芸人や路上で歌い一発逆転を狙うひとが多くいる。そういったサクセスストーリーは耳にオクタンができるほど聞いてきたことだろう。
だから、アタシのように路上で踊るひとは珍しくなかった。多くのひとが同じように踊り、歌い、楽器を演奏する。輝く星になりたいがために。
……でも、現実はそううまくできていない。アタシの踊りは目を引くレベルではなかったのだ。この男の言う事は嫌になるほど正しい。
なんとか立ち上がったアタシは、拳を握りしめて反論の言葉を探すが現実、見つからなかった。
「まず、端的に言うと技術不足だわッ!! 明らかに音楽のリズムに身体がついていけていない……難しいステップを踏もうとしているのは分かったけれど、基礎どころか体幹のバランス感覚が弱いわよッ!! ……そして、何より……美意識が足りないわッッ!!」
「ハア……?」
「その顔よッ!! 貴方、踊ってる時に踊り以外の事に感情が出過ぎているのよッ!! ちっとも美しくないわッ!!」
「はあ~?」
色々ド正論を言われているのは分かる。アタシの踊りに足りないのは基礎だ。ほぼ独学で動画を見ながら模倣を繰り返すだけで、きちんと評価をされたことがない。こうして言われると納得する部分はある。あるのだが、顔って。このきっつい顔つきは生まれつきだしそこをどうにかしろと?
不満が大爆発した私は不快感を露わにして「なんなのよ!!」と地団太を踏む羽目になっていた。
「何よ何よ!! 急に出てきて色々言わないでよ!! こっちだって分かってんだから!!」
「いいえ、分かっていないわッ? 貴方には踊りに対する信念と覚悟が足りない……それが如実に出ているのよッ!!」
「…………ハァ!? なんでそこまで言われなきゃいけないワケ? そんなに言うならアンタ、できるっての!? ここを通る全てのヒトが注目するようなすんばらしい踊りってやつが!!」
「そう。……成程」
その瞬間、アタシのスマホロトムが何かを察知したように、とある曲を再生をした。アップテンポの、フラメンコの曲。時々再生して聞いたことがある。ブレリアと呼ばれる陽気な種類の曲で、しかも最近流行りの歌手のものだ。何回か聞いたことがある。
す、と空気が変わる。サングラス越しの鋭い眼光が、空気を射抜く。先ほどまではオカマ口調の変なオッサンだった存在が、急に迫力を持って存在感を放つ。
構えただけだった。それだけで、周囲のひとびとは足を止める。何かが起きると察知したのか、スマホを見ていた通行人は顔を上げて、流れる音楽と始まる空気に飲まれていた。
格好は明らかにふざけているが、その踊りは確かに言うほどのものはある。――いや、それ以上だ。
だって、明らかに視線が違う。女性用のフラメンコの衣装を着たオッサンがそのままフラメンコを踊っているのだ、見た目のインパクトもさながらだ。確かにウケ狙いと言えばそれまでだっただろう。
だが、そうとは言い切れないほど、その技術はすさまじかった。だって、もう姿格好の事など頭から吹き飛んでいた。ただ、そういう格好だ。それだけのノイズ如きではこの男の踊りの評価を阻むことはない。
フラメンコの独特のリズムは掴むのが難しい。変調のギターの音色と陽気な声と手拍子。動画のざらついた音では明らかにこの男の踊りに役不足と思うほど、迫力と空気にアタシ達は飲まれていた。
その曲自体はそんなに長くない。十分もないんじゃないか。でも、一瞬だった。ひとの十分の体感など結構長いはずなのに。観客はその場に魅入っていたのだ。明らかに。
最初は動画を撮っていたひとも、口をぽかんと開けているし、中にはノリノリで手拍子でリズムを取るひとだっている。そんな空気全てを支配し、感情すら引きずり込んで、ブレリアのような陽気で楽しい空気に塗り替えた。テーブルシティのただの路地が、今はステージになっている。
圧巻、の一言に尽きる。
アタシの時は誰も足を止めなかったのに、その男が踊りのフィニッシュのポーズをとる時には――そこに居た全てのひとが、拍手喝采していた。
「……すごい」
呆気にとられたアタシは、呆然と周囲に釣られて手を打ち鳴らす。
鳴り止まない拍手の音が、今のアタシの実力の無さと、男の指摘の正しさを明白にした。
こうも実力差を圧倒的に見せつけられれば、アタシの踊りが足りなかったことを嫌でも分かってしまう。悔しさを眩しさで奥歯を噛み締め、ぎゅうっと握りこんだ拳の中で爪が食い込んだ。
「どうかしらッ!! これで少しは聞く気になったかしらッ!?」
「……………………」
喋ったら全部台無しだな。
踊り切った後、観客は盛大な拍手でアンコールを求めた。だが、彼は一礼をして終わりだと言外に告げると、「また見に来るからな!!」と声援が尾を引いていた。
中には恐らく慌ててどこかに向かおうとしていたのに、思わず十分近くも魅入ってしまったせいで拍手しながら時計を見やってそのままダッシュで走り去るひとだって見えた。
先ほどまでの空間を支配した迫力は消えていた。いや、素に戻ったと言えばいいか。ただの愉快なオッサンに戻ってしまい、アタシは微妙な心地で顔を歪める。
……いや、確かにすごい踊りを見せたら話を聞くとは言ったけど、こんな圧巻なものを見せられるとまあ一応落ち込みとかはしないが些か腑に落ちない。
不服そうね? とデカい声が耳に響き渡る。うるさいなこのオッサン。声が尋常じゃなくデカいんだよ……。明らかにアタシの不快ですという顔を理解していながら、オッサンは気にすることなく言葉を続ける。
「……さて、おふざけはここまでにして」
「最初っから最後まで恰好からふざけてんだよ……」
「とりあえず、貴方の踊りには技術が圧倒的に足りていない。……それは自覚しているようね」
「言われなくても知ってるっての……」
そう、言われなくても知っている。
アタシの踊りはありとあらゆるものが足りていないが、一番は技術的なものだ。この男の圧巻の踊りは軸がブレることなく、音楽と肉体がぴたりと一致するようにステップから指先までの動きが滑らかに動いていた。ド素人に近いアタシだってそれだけはなんとなく分かる。
「……貴方、気になったのだけれど、ちゃんと何か……師事しているのかしら? 流石に全て独学とは言わないわよねッ!?」
「…………」
それなのだ。
アタシは全て自分で動画を見漁り、動画の動きを真似して、上手く動けないところは何とか身体を鍛えながら補間して……というものだ。
思わず無言になったのを肯定を見做したのだろう、男は顎をさすりながら「……成程ね。まずは誰かにちゃんと基礎を師事してもらった方が良いわよッ?」と短い正当なアドバイスが飛んできた。本当にぐうの音も出ないほどの。
長い無言の中、なんとか言葉を探しても見つからなかった。
アタシは長いため息を吐いて、一言。
「……アタシだってちゃんと習いたいわよ」
ぽつり、と言葉が漏れた。
そんな言葉が戻ってくるとは思っていなかった男は、サングラス越しでも眉根を寄せたような顔をしているのが見えた。
「何故? 習おうと思ったらこのパルデアにはいくらでもダンスのレッスンをしている教室なんて……」
「……あー……そういうことじゃないわよ。ちょっと、まあ……色々あって……」
「…………フム」
かつ、かつ、と音がする。男の履いてる高いヒールの爪先が、石畳を叩く音だ。
何かマズイ発言をしただろうか、と自分の言葉を思い返し。いや、それこのオッサンには関係なくない? と開き直るまで数秒。男の口から「よし!!」とデカい声が響き渡った。
「分かったわ」
「ハァ!?」
「この通りすがりの男が少しばかり相談に乗ってあげましょうッッ!!」
「ハァ~~?」
怪訝なアタシを知ってか知らずか、男は「ついてきなさいッッ!!」とノシノシと進み始めた。一瞬、このまま放置して帰ろうかと思ったけれど、帰ったところで……と思い返してその後を駆け足で追いかけることにした。
物語のはじまり