受け取るものがないのなら、それはただの残響だ。
***
例えるなら、蠱毒である。それをさらに純化すべく坩堝に焼べ凝縮されたものは、研磨された刃物のように世界の法則に穿つ鋭さを放つ。
古代東洋では、生き残ったものが、最終的に「神」になる。その国の言葉を借りれば、「荒御魂」――祟る神に成り果てるが、凌ぎを削り続け鋭さを突き詰めた結論の強さは、事実が証明し続けている。
魔術師は常に研鑽する生き物だ。
彼らの命題は単純だ。「世界の真理を知りたい」。ただ、それだけ。シンプルすぎて、その結論は具体的な終着点がない。だから愚かしくも探し続けている。広大な宇宙に、果てのないひとつの星を探すように。
禅問答のようだった。自分たちの内部で結論づけた答えを必死に探して足掻き続けるうちに、我々はいつのまにか際限を失った。
まずは情から捨てられる。心は重荷だ。思考過程のエラーにしか他ならない。次にひとの社会の在り方を、そして、法を、倫理を。いつのまにか全て捨てて残ったものは、ひとらしさの極点。世界を解剖し、解体し、そして世界の終わりすら銘打つこととなる、果てのない好奇心だけだ。伐採され尽くしたひとの価値観に、歯止めなどない。故に、邪魔するものは全て何事も無かったかのように狩り尽くすのだ。
それが、例え肉親であろうとも。
何食わぬ顔で。
彼らはあっさり刃を向けるのだ。
血飛沫が辺り一面にさんさんと降る。温い熱が剣の先から炸裂し、臓腑を貫かれた男は質量を伴った音と共に地面に散った。
だらりと液体が煉瓦の溝を伝い、質量を持って広がっていく。男の赤い目は既に光無く、歪められた眉間には色濃く怨嗟が宿っていた。
その尊厳を踏み荒らすと理解して尚、哀れだと思う。そんなことを思考の端で考えて、その男に一瞥もくれない、血塗れの剣を「汚れてしまったな」と洗浄する、血を分けた弟である立場の黒衣の背中を見た。
アレクサンダー=オルシュタイン卿。ガラルにおける有数の貴族の一人であり、空輸と言われればオルシュタイン家と呼ばれるほどの有数の家の跡取りが兄。エドワードの立ち振る舞いは平民と比べると質が違うと感じていたが、それはそれは御曹司だったのかということは納得もつく。そして、何故魔術師となったのかも凡そ。
なのに、何故。アレクサンダー=オルシュタイン卿は、自分よりはるかに恵まれないエドワードに対してのあの憎しみを抱いたか。
自由がない生だ、と男は言った。それに対し、彼は。自由を選ぶ気が無かったと告げる。
どうしてお前ばかり、と男は言った。それに対し、彼は。何もしようとしなかったお前らしい言葉だと告げる。
常に本質しかない男の口から放たれる言葉の応酬に、イェイツは言葉を挟まなかった。
きっとそれが全ての答えであるということだ。
魔術師はありとあらゆる軛から解き放たれ、自由である。それは、大事なものを捨ててきたからだ。初めから持たずして最初から切り捨てた弟に彼は憧憬を見出し、本当の願いを口にしても尚、未来永劫叶うことはなく、彼は感情に囚われて土に帰された。
哀れで、どうしようもない結論を馬鹿にすることはできなかったイェイツは、その血塗れの亡骸を見下ろし続けた。
「家族なのに」
と問うた男に。
「家族だから?」
と答えた彼の有様に。
それが魔術師である本懐だ。そういう生き物が魔術師になる。そうして手向けに血の花は咲き、エドワードの兄だった男は物言わぬ躯になったのだった。
何も感じないのか、と彼には問えない。事実、何も感じないのが魔術師なのだ。エドワードとその兄の言葉の応酬で痛感する。
ただ、魔術を知らぬ何かが好きなように喚いていて、五月蠅いなあと羽虫を追い払う気軽さで、エドワードは己と同じ血が流れた兄弟を淡々と刺し殺したのだ。
拳を握る手ばかりが強くなる。
覚悟はしている。つもりだ。何があっても自分の邪魔をする存在を傷つけても邁進せねばならない時だってあるだろう。でも、彼らの中には「覚悟」なんて壮大なものはない。ただ、本当に。邪魔な小石を蹴り飛ばす程度なのだ。ひとの命すら。
だから、ああは成れない。なりたくない、と自分の心に刻み付ける。
自分を除いた魔術師たちの言葉の応酬が背後で繰り返されるのを、意識的に脳から追い出す。
そろそろ人除けの術も解除される。街中に突然現れた男の亡骸は、誰かが適当に処理するだろうと投げ出すスタイルに口を出したい気持ちになるが、この男を殺した自分たちは彼を弔うことも許されないだろうし、花を手向けることすらも無礼なのだろうと引き結ぶ。
キョダイマックスという事象が引き起こす特有の暗雲は次第に晴れ始め、隙間からさんさんと日が照る。まるで神が哀れに殺された男を憐れむように、血だまりを中心に。瓦礫の中に投げ出されたその死骸から目が離せず、いつまでも無言で立ち尽くしていた。
どうやら、自分を放っておいて、ダイアンは既に準備を進めていたらしい。転移の陣が足元を駆け抜け、円形が己の肉体を含め成立する。煌々と薄紫に光が線から漏れ出て、光で地面の痕跡が消えゆく視界の淵で、ただ想う。
エドワードの兄だった男の前で目を瞑る。謝罪は言わない。何も告げられない。告げるべき言葉は無く、運が悪かったとしか言いようがない悲運を憐れむしかできなかった。
願わくば、次の人生では魔術はともかく魔術師と何らか変わりなく生きてほしい。誰かに賭ける情を持たない怪物たちは、ただ残酷にひとの願いを咀嚼して飲み干してゆくだろう。
己の中で思考は終わった。次々と勝手気ままに己の想いを語る魔術師たちの言葉に応えるように、ふと顔を上げた。
「シーブル?」
虚を突かれた。
本当に。無意識に、その名を呼ばれたから。十年来呼ばれることのなかった名前に思わず。本当に思わず。身体ごと振り返って、ひゅう、と跳ねた吐息が喉の奥を駆け抜けた。
何故。と問う。
どうして、と喉の奥で零す。
転移陣が起動し、掻き消えるような白い光の中で。
その目は確かに、遥か昔から知っていた、姉のものと同じ輝きを放っていた。
*
空耳ではないか、と自問して。あの目は姉だ、と自答した。
がたがたと山道を登る電車の震動が座席越しに伝わってくる。あまり魔術師っぽい恰好にならないようにとマネキン買いが様になるエドワードや、相変わらず浮かれた観光客のような恰好のキャロルの二人組を眺め、ため息を吐いた。一口傾けた駅のホームで適当に買い付けたコーヒーの味に眉根が寄る。砂糖でコーヒー豆を茹でたのだろうか。これ以上は口が進まない缶をどうするか、と考えた矢先にキャロルが何も言わずにするりと奪っていった。どうせもう飲まないのだ、もういい、と彼に言葉を適当に投げつけて適当にサンドイッチを摘んだ。
この場に居るのは己とキャロル、エドワードのみだ。現代技術にまだ馴染める二人は、駅で買い込んだサンドイッチや菓子類をワイワイ言いながら広げていて、さながら幼学校の遠足の光景のようで少し呆れた。
後の女二人は電車を使わず色々寄り道してから目的地に行くという。地図すらマトモに読めるか謎な二人だが、魔術師としては腕はたつ。周囲に被害を絶対降り注がせるなにかしらをしでかしながら辿り着けるのだろうな、とは思う。だがあの二人の相手をする余力が今の自分にはないので、そのまま見送り、キルクスタウンへ現地集合と言いつけて、自分たちはとりあえず一番近いであろうナックルシティへとゆくために駅に駆け出しそのまま乗り込んだ。
ゆらゆらと揺れる列車の一角で、キャロルとエドワードの言い合いをぼんやりと聞く。一般のひとが聞けばぎょっとする発言も、座席に盗聴防止のルーン魔術を刻んだ石を設置しているため、どれだけこの二人が大げさに身振り手振りで大声で喋ったとしても聞き取れないだろう。肘を立てて窓の外を見やる。
――既にエドワードの兄である男を討伐して数刻、夕方だったあの時間帯からナックルシティへの到着は、夜遅い時間となるだろう。ここ最近、テロが頻発しているからと夜行の電車は少なくなっている。大体の原因を察している己たちにとってこの列車に乗れたのは不幸中の幸いだったと思いつつ、窓の外を見やる。
既に夜の帳が差し迫り、ほとんど日が傾いた暗闇は、窓に映った自分の胡乱な顔を見て、ぼんやりと思考は過去に回帰していた。
己はには姉がいる。
十ほど離れた姉は、いつだって大きな背であった。
「姉ちゃん、姉ちゃん」
「どうしたんだ、シーブル」
自分の手を引く姉の姿を思い出す。十という年齢差は大きく、己にとって姉は偉大な世界の全てであったし、広さを教えてくれる先人であった。
彼女はよく、己にたくさんの話をしてくれた。
数多の英雄たち。正義の為、愛の為、家族の為、国の為、民の為。世界を愛すると決めた時、そして戦おうと選んだ彼らの物語に胸躍らせ、目を輝かせた記憶の数々。
星の輝きを、紙に描かれた美しき色彩で夢に見る。ぱらぱらとめくられる絵本は、姉が小さい頃から読み込んできたというもので、糸綴じされた絵本が開き切っていて、硬質の紙はすこしくしゃくしゃになっていた。
自分も子どもらしく荒っぽくページを叩きながら、読み上げる物語の絵を指さして、こいつは悪いやつだ、とかこの場面かっこいい!なんて好き放題喋っているのを、姉は優しく微笑んで、膝の上で動き回る己に優しい声で言葉を紡いでいく。
「なあ、なあ、姉ちゃん!次はこの話読んでくれよな!!」
「ふふ、シーブルは本当に英雄の話が好きなんだな」
「だってよー!カッコイイじゃん!!俺もカッケーヒーローになって必殺技バーンってするんだ!!」
「そうか…………シーブルは、英雄になりたいのかな?」
優しく頭を撫でる姉の手に、元気よく肯定の返事をする。
子どもとは無邪気だ。己の無力さも知らず、偉大な何かに成れると信じている。己もそうやって夢を見た。星の輝きを目に浮かべ、そうなれると信じて姉に語る。
自分の返事に姉は優しく笑う。
「シーブル、お前なら…きっと強くなれるよ。いや…強くなるんだ。大切なものを、護りきれるくらい」
物語を読み終えてうとうとする俺にかけたあの日の言葉が、己が知る姉の最後の言葉だった。
何も知らない幼い子どもは、明日以降も姉がいることを信じて、明日の話をする。姉は静かに頷きながらも、穏やかな表情でぽつりぽつりと言い聞かせるような声色で、姉は静かに物語の終わりまで語っていく。
物語の内容は、シンプルな勧善懲悪だ。悪は滅び、正義が勝つ。無辜の民が傷つくのを良しとせず、物語は悪を倒して帰還した英雄が、お姫様と結ばれ永遠に幸せになるところで終わりを迎える。御伽噺によくある起承転結に、子ども心に憧れ楽しんでいた懐かしい記憶。
終わりなどないのだ、と信じている子どもに言い聞かせるように。物語は静かに終わるのだ。
「……姉ちゃんは?」
朝、毎日己を起こしにくる姉の姿は無く。両親に尋ねても気まずい顔を浮かべるだけで、返答はなかった。
いつもより遅く起きた己は、ようやく思考を回転させる。誰にも起こされず自発的に始めて起きたその日。毎日が少しずつ変わっているのを、ようやく自覚した。
嫌な予感がした己は、姉の部屋に飛び込むと。その部屋には何もなくなっていた。泣きだしながら両親に詳しい説明を求めれば、小さい子どもには納得できないと言い幼心に何も納得ができないままその日は泣いて過ごした。
明日に成れば姉は帰ってくると期待して、毎日玄関に座り込んでいた。いつの日かそれが無駄だと知ったのは、姉から届いた手紙からだった。
その内容は実に淡泊だった。姉が今どこにいるのか、何をしているのか分からないのに、それの記述は一切ない。まるで報告書のような内容と簡素な自分たちは変わりないかという内容に、そういうことを知りたいのではないと思わず家から飛び出しても、姉はもう追いかけてこなかった。
そうして、姉はいなくなったのだと知る。
『組織』と呼ばれるものに自ら志願し、姉は安寧の暮らしを置いて、英雄に成ったのだ。
それ以後、姉と会うことはなく十数年が経つ。
*
がくん、と首が落ちた。
何が起きたのかぼんやりしながら顔を持ち上げると、いつのまにかタロットを並べてギャアギャア言い合いしていたであろうエドワードとキャロルが己の顔を見ていた。
「……イェイツ、もしかして寝てた?」
「姦しいお前が静かだと思えば寝ていたのか。すまんな。起こしたか」
「姦しさはお前らが上だろうがよ……」
悪態を吐きながら涎を拭きつつ窓の外を見やる。
夜の帳は深け、星は分厚い雲に覆われていた。天気予報はもうじき雨が降るとの予報で、せっかく本拠地の近くなのだ、協会の近くには己が工房がそれぞれあるだろう。一日そこでゆっくり休んでもいいかもしれないとぼんやりと考える。
二人ともいつの間にか酒を持ち込んでいたのか、エール瓶を傾けつつ魔術議論について白熱していた。暴れ出したら窓からつまみ出すかな……と寝ぼけた頭で考えつつ、ボリボリと後頭部を掻く。
「ね〜イェイツ」
「あんだよ」
「寝言で姉ちゃんとか言ってたけど、何?」
お前兄弟居たの?というキャロルの質問に面食らう。
そういえば、そんな話をしたことがない。する必要が無かったと言われればそうなのだが、聞かれるとは思わず視線を彷徨わせてエドワードと目が合った。
兄を殺した男の前で、己の血縁の話をするのか?という気持ちで言葉を引き結ぶと、エドワード自身は「俺は別に何も気にしていないが?正直、お前のような男に兄弟がいることが気になる」と言い出している。
正直言えば、魔術師に対して己が身を伴ったひとであるという証――肉親の話をしたくないな、と思う。
弱味を晒したくないもあるが、一番は。己は魔術師となったが、そもそも目の前のキャロルやエドワードのように、自分はきっと心を捨てきれないから、思い出してしまうという自覚があるからだ。
魔術師は非人である。その心は、常に魔術の研鑽、そして自分たちの研究が真理に辿り着くと信じる無邪気で無垢な、好奇心のみ。切り詰めて捨てられた肉親への情とかそういった心の重たい部分を削り取った彼らに、己の感情を曝け出すのは気が引けた。
削り取って、毒のような好奇心しか残らない怪物たちに、自分はひとですと言うような気がして、彼らの内情や人間味がある部分には触れないように気を配っていたが、まさか向こうからそういう話題を振ってくるとは思わなかった。
「……さてな」
「あ〜絶対いる顔でしょこれ!!意外〜イェイツは兄貴だったのかなって思ったんだけど、姉ちゃんいるの?」
無邪気に笑うキャロルの言葉に返答はしない。下手に濁しても言葉尻を掴まれて突っ込まれるだろうことが予測され、ふいと窓の外を眺めることに注視する。
いるさ。姉がな。星のように輝く、強く立つ姉が。
姉のことを知りたくて、簡素な手紙の内容だけではわからなかったから、テレビ越しで見たんだ。
『アストレア』と名付けられた女がいる。チアッタ、という本来の名前ではない字で呼ばれる姉に、遠い、遠くなったと感じて、その日からテレビで組織のことを見るのはやめた。
故郷を出て、魔術師になるべく修行をしていた時期の話だった。
ひとを助け、悪を挫く星となった姉に、今の自分はどういわれるのだろう。
ひとを救い、強くなれと願った姉の祈りと反し。魔術師となるべく非道の道を選んだ己は。
がたん、と音がする。窓の外を流れる光の流れは次第に緩慢になり、ナックルシティの象徴である古びた塔の照明がぼやけて見え始めた。終点を告げるアナウンスが流れ始め、二人が散らかしたゴミを纏めながらぼんやりと考える。
……いつしか、多分。姉とまた会う気がする。
あの瞬間、立っていたあの姿が姉ならば。
「お前は悪になるのか」
と問われたならば。
己はこうやって返すのだろう。
「それが選んだ道ならば」
ある姉と弟の再会の話。
Special Thanks!:【ミスト様宅…アストレアさん(エースバーン♀)】